ふつうの先生の頭の中。

メガネに指紋ってつきがちですよね。

あえて、厳しいことを。

昨今のSNS界の活発な情報発信は、

目を見張るものがある。

 

若手の台頭も、嬉しい。

 

発信される情報は玉石混淆ではあるが、

受け手によっては、

SNSでの情報は宝箱のように

感じている方もいるのだろう。

 

しかし、危惧も感じている。

SNSで発せられる「言葉の上滑り感」と、

内輪でのコミュニケーション強化による

「コミュニティの逆矮小化現象」に関して。

 

具体的に見ていきたい。

 

最近では、ティール組織に関する

情報発信が流行した。

 

ティールを学級や学校に当てはめる論考には「すごい、その発想はなかった。」や「素晴らしい。なぜそんなことを思いつくの?天才!」などの反響も寄せられた。

 

これを本気で言っているとしたら、

本が全く読めないのか、

盲目的になっているかのどちらかだと思う。

後者は「宗教」だと揶揄される原因となる姿勢だ。

 

 

教員がティール組織を読む時に、

学級や学校に当てはめて読むのは当たり前だろう。経験年数10年近くなって、「圧倒的。。感嘆。。」的なことを言っているのだとしたら、かなり勉強不足だと言わざるを得ない。

 

自分のアタマで考えることを

しなくなっている証拠。

 

それでは、いつまでたっても、

今見えている景色を変えることなんて

出来やしない。

他者の人生を生きているのだから。

 

もし教員で、教育とは遥かにかけ離れたフィールドで圧倒的な論考を見せる人がいるのならば、それは天才だと思う。

 

ティールの論考に似た学級経営論は、

岩瀬直樹さんが2011年頃から「信頼ベースの学級経営論」として発信している。

 

 

岩瀬直樹さんの信頼ベースの学級経営論、

タックマンモデルなどで、

組織論を学んできた人にとってはティール組織で展開される論考は当たり前に感じるのではないか。

 

というか特段組織論を学んでいなくても、

ミドル層くらいになれば、あのパラダイムには自然と到達して欲しい思考レベルではある。

 

ティールを例にとったが、

それだけではない。

 

ごく普通の事が、

とんでもない発見のようにもてはやされ、

まつりあげられて、

小さなコミュニティの価値観はより強化され、

色に染まらない人は入れないムラが完成する。

(コミュニティの逆矮小化。ようこそTwitter職員室へ。)

つまりwholenessを失っているという皮肉。

 

 

だから、

最近のSNS界の発信や内輪感には

違和感を感じることもある。

(自分もその一員だけど。)

 

 

SNS界で積極的に情報発信をしている方は、

何かを変えたいと思っている人も多い。

 

もしも本当に世界を歪ませたいのなら、

現在のレベルや、

思考、成長スピードで

満足していては

難しいだろう。

 

論客不在の

お友達コミュニティは、

 全体的にスピードが遅いのだ。

速く見えるけど、遅い。

そして、軽いのに、鉛のように重い。

(特にTwitterはミュート機能があり、自分に不都合な意見はフタをする事ができるため、メタに自分を見る力が弱くなる傾向がある。) 

 

本気で世界を歪ませたいのならば、

居心地の良いコミュニティで、

自己承認欲求を満たすべく行動をしてる場合ではない。

 

本気で考えれば、今自分が何をしなければならないのかは自然と見えてくると思う。

 

 

SNS界でどんなに饒舌でも

現実世界を動かせていないのならば、

まだまだ自分にやれることは

無限にあるはず。

 


目の前の子ども達が全て。

 

 

ハンドルを握っているのはカリスマでも、

天才でもなく、「あなた」ですよ。

 

そこを見失わないようにしたいものです。