ふつうの先生の頭の中。

メガネに指紋ってつきがちですよね。

誰でも出来るNKS思考法の始め方。

昨日のブログは反響があったので、

続編を書きますね。

 

今日も社会で取り組んでみました。

 

今回は「興味はあるけど、実際にやるのはちょっと・・」という方向けです。

 

導入段階で大事な手立ての一つは、

モデルを見せることだと思います。

 

といっても、一つの授業準備に膨大な時間をかける訳にも行かないので、自分は

【教材研究をNKSで取り組んだ授業メモを印刷して授業冒頭に配る】ことをしてみました。

 

五分程度で作成したメモなので、

不完全ではありますが、

難しい子にとってはヒントにすることができ、

出来る子にとっては方向性を確かめたりすることができます。

 

勿論見ないで取り組むのもオッケーです。

 

それと、

【面白いノートは印刷して、配布する】

という手立ても有効な気がしています。

 

それも一つの似たようなまとめ方をしているものだけではなく、様々なバリエーションを取り上げることで、まとめ方にも色がでてきます。

 

6年生ならこの時期、丁度公民分野なので、

NKSが有効に働く単元が多い気がします。

 

ただ、自分の場合同じ授業の型を続けると飽きてしまうので(自分も子ども達も)、その他の授業の展開もたくさん持てるようにしています。NKSもあくまで一つの授業のパッケージとして、引き出しに持っていると、大きな力を発揮することがある気がしています。

 

もしチャレンジしてみようかなと思われている方がいらっしゃいましたら、【教師のモデルN KS】と【面白いノートのコピー配布】を試してみてください。

 

と、

いうことで今回は「守」の部分についてでした。

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生産性を上げて好きな時間に帰る(※定時以降)

盟友のさるさんが、来春に生産性に関する本を出版されるという事で、今回はお祝いに、その本を喰う記事を書きたいと思います笑

 

始めに一つだけ言いますと、

生産性を追求しても、

新たに生み出される時間は微々たるものです。

教育の生産性がもたらす費用対効果は絶大ですが。

 

丸付けとか、転記とか、そういう細かいテクニックで生み出される時間は微々たるもの。

(まぁ、ちりつもではありますが)

 

 

なぜなら、

仕事の総量は劇的には変わらないからです。

 

取捨選択して、減らす事はできますけどね。

 

それじゃあ、

俺らの仕事はハナから膨大に時間がかかる運命なんやないかい。と思いますが、

突破する方法はあります。

 

さるさんも多分本の中で書かれるんじゃないかと思いますが、僕らが1日の中で使えるそもそもの時間軸をズラすことと(僕は一日が36時間位ある感覚です)新たなマインドセットを持つことでダイナミックに仕事観を変えること。

 

後は子ども達を信じて、

毎日を楽しむ工夫を生み出すこと。

 

これ以上は、

多分さるさんが本の中で書いているんじゃないかと期待しているので、書きませんが、

ヒントは

・時間軸

マインドセット

・子ども達を信じて、楽しむ工夫を生み出す

・強みで組織に貢献

だと自分は考えます。

 

それらを意識して働くことによりいつの間にか、螺旋状に成長して組織で協働しながら、自分が望む働き方に近づく日が来るのでないでしょうか。

 

しかし、学校事情で帰りたくても望む時間に帰れない状況が全国各地であることも痛いほど分かります。

 

だから働き方に関する発信は難しいです。

 

そういう意味では、なんの空気も読まずに

生産性分野でポジションをとったさるさんは

リスクテイカーです。

 

だから、その空気の読めなさに

期待と

心からのエールを贈りたいと思います。

 

そんな、さるさんが書いた渾身の一冊

「全部やろうはバカやろう」

来春発売です。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

NKS思考法について

今日は、葛原先生のNKS思考法について

ブログを書きます。

 

簡単に言うと、

N⇨抜き出し

K⇨組み立て

S⇨整理する

という流れで、教科書の資料や文を読み取り、

キーワードを整理して、論立ててアウトプットするという感じです。(多分。違ってたらごめんなさい)

 

この実践のよさは、

大人が自然とやっているインプット⇨アウトプットの流れを論理的に言語化し、多くの子に汎用可能なパッケージに落とし込んでいるところです。けテぶれも同様ですね。

 

大人にとって当たり前となっている思考の流れを論理的に言語化し、汎用性・応用性の高いパッケージにしたと言うところに大きな価値があるのだと思います。

 

私は今は社会の公民分野で取り組んでおりますが、子ども達にとっても学びやすい型の様です。

 

型が定着してくると、

崩すこともできるし、

更にアレンジも可能になります。

 

汎用性・応用性という点で優れた

授業の型なのではないかと思います。

 

個人的に、NとKの部分はあくまでも

【素材・メモ】なので、

Sの部分を完成させるための

ステップという感じがしています。

 

なので、もっと速く、もっと課題に正対してNとKを突破するような手立てを打っていきたいなと感じました。

 

特に抜き出しのやり方は、

今はマッピングが多いですが、他にもたくさんありそうです。

 

組み立ては、

国語とのカリマネで

もっとうまく出来そうです。

 

現時点での社会科授業の一つの流れとなりました。

また授業の引き出しが一つ増えました。

 

葛原先生ありがとうございます。

もっと、

ブラッシュアップしていきたいと思います。

 

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 ※30分でもこれくらい書けるようにはなります。

 

watcha学生and若手の振り返り

今更ですがwatcha学生and若手が、

自分にとってどんな会だったのか。

 

結論から言わせて頂く。

 

「とても学び多き時間になった」

 

これが一番の言葉。

 

嘘でも、お世辞でもなく。

 

特に大きな収穫は

「対話を促す場作り」

だ。

 

マネジメントが秀逸だった。

 

スピーカーのテーマを投げかけるタイミング、

そして対話したくなるようなテーマの設定。

 

とても良かったと思う。

 

各テーブルにホストを置き、

対話を柔らかく促す存在を置いていたことも

良かった。

 

あのような場作りができたのは、

スピーカーの力もあるが、

なかなか表立って見えない部分での

運営、スタッフの力による所が大きいと思う。

 それと参加者の参画意識。

 

柔らかい感性。

 

正直、対話を促す場作りに関して、

規模の違いはあれど

watcha東京を超えていたと思う。

 

今後の新たなwatchaの展望を、

垣間見せてくれた。

 

同時にその柔らかい感性に少しだけ嫉妬した。

 

ありがとう若手の先生。

行って良かった。

 

これからも学ばせて頂きます。

共に教育界を面白くしていきましょう。

 

 

負けないけどね。

あえて、厳しいことを。

昨今のSNS界の活発な情報発信は、

目を見張るものがある。

 

若手の台頭も、嬉しい。

 

発信される情報は玉石混淆ではあるが、

受け手によっては、

SNSでの情報は宝箱のように

感じている方もいるのだろう。

 

しかし、危惧も感じている。

SNSで発せられる「言葉の上滑り感」と、

内輪でのコミュニケーション強化による

「コミュニティの逆矮小化現象」に関して。

 

具体的に見ていきたい。

 

最近では、ティール組織に関する

情報発信が流行した。

 

ティールを学級や学校に当てはめる論考には「すごい、その発想はなかった。」や「素晴らしい。なぜそんなことを思いつくの?天才!」などの反響も寄せられた。

 

これを本気で言っているとしたら、

本が全く読めないのか、

盲目的になっているかのどちらかだと思う。

後者は「宗教」だと揶揄される原因となる姿勢だ。

 

 

教員がティール組織を読む時に、

学級や学校に当てはめて読むのは当たり前だろう。経験年数10年近くなって、「圧倒的。。感嘆。。」的なことを言っているのだとしたら、かなり勉強不足だと言わざるを得ない。

 

自分のアタマで考えることを

しなくなっている証拠。

 

それでは、いつまでたっても、

今見えている景色を変えることなんて

出来やしない。

他者の人生を生きているのだから。

 

もし教員で、教育とは遥かにかけ離れたフィールドで圧倒的な論考を見せる人がいるのならば、それは天才だと思う。

 

ティールの論考に似た学級経営論は、

岩瀬直樹さんが2011年頃から「信頼ベースの学級経営論」として発信している。

 

 

岩瀬直樹さんの信頼ベースの学級経営論、

タックマンモデルなどで、

組織論を学んできた人にとってはティール組織で展開される論考は当たり前に感じるのではないか。

 

というか特段組織論を学んでいなくても、

ミドル層くらいになれば、あのパラダイムには自然と到達して欲しい思考レベルではある。

 

ティールを例にとったが、

それだけではない。

 

ごく普通の事が、

とんでもない発見のようにもてはやされ、

まつりあげられて、

小さなコミュニティの価値観はより強化され、

色に染まらない人は入れないムラが完成する。

(コミュニティの逆矮小化。ようこそTwitter職員室へ。)

つまりwholenessを失っているという皮肉。

 

 

だから、

最近のSNS界の発信や内輪感には

違和感を感じることもある。

(自分もその一員だけど。)

 

 

SNS界で積極的に情報発信をしている方は、

何かを変えたいと思っている人も多い。

 

もしも本当に世界を歪ませたいのなら、

現在のレベルや、

思考、成長スピードで

満足していては

難しいだろう。

 

論客不在の

お友達コミュニティは、

 全体的にスピードが遅いのだ。

速く見えるけど、遅い。

そして、軽いのに、鉛のように重い。

(特にTwitterはミュート機能があり、自分に不都合な意見はフタをする事ができるため、メタに自分を見る力が弱くなる傾向がある。) 

 

本気で世界を歪ませたいのならば、

居心地の良いコミュニティで、

自己承認欲求を満たすべく行動をしてる場合ではない。

 

本気で考えれば、今自分が何をしなければならないのかは自然と見えてくると思う。

 

 

SNS界でどんなに饒舌でも

現実世界を動かせていないのならば、

まだまだ自分にやれることは

無限にあるはず。

 


目の前の子ども達が全て。

 

 

ハンドルを握っているのはカリスマでも、

天才でもなく、「あなた」ですよ。

 

そこを見失わないようにしたいものです。

 

 

実習最終日の往復日記。

「技術はセンスを凌駕する」

 


ー実習日誌、最終日に書いた往復コラムー

 


「教師向いてないから、辞めた方がいいのかな。」

 


連絡帳の書き方も分からずに始まった教員生活。できないことばかりの毎日。向いてないなと思うことや悔しいことたくさんありました。

 


それでも、今も先生やってます。

なんとか8年目に突入です。

 


子どもとうまくいかず、同僚とうまくいかず、もう辞めようと思ったことたくさんあります。

 


でも、その度に悔しい気持ちを思いだし、プライドを捨てて本気で学んできました。

もう無我夢中です。生きていくために学ぶような。

 


本題です。

個人的に、センスだけで乗り切れるのは初任者から5年目までだと思っています。

若いときは、子ども達と精神的にも肉体的にも近いので、なんとなく乗り切れてしまうことも、だんだんとそうではなくなっていきます。

そこからは、技術のない人は落ちていきます。

 


僕は、技術はセンスを超えると思っています。

 


センスは天性のものですが、技術は後天的なもので自分の努力次第で身につけることができます。

 


未来は、明るいのです。

 


「自分は成長し続けられるし、今は難しい課題でも、いつかは必ず乗り越えられる」という思考のくせ=growth mindsetを持てると、人生を楽しむ余裕が生まれます。

 


実は、この二週間でも、多くの技術をO先生に伝えられるように計画を練りました。ちょっと整理してみましょう。

 


【マネジメント系】

①四分六の構え②チョークで回しながら書く③休み時間のバリエーション④優先順位をつけたタスク処理⑤褒めることによる行動の強化⑥タイムマネジメント(授業・業務)⑦1年目にかわいがってもらうには

 


【心・観】

①多様性を認める②沈黙を恐れない③信じて待つ④子どもの視点に立って考える視座⑤教師に必要と思われる資質⑥「問い」で強みを引き出す。⑦全てを面白がる思考のクセ

 


ここで、大事なことをもうひとつ。

技術だけあっても、もちろん足りません。

 


技術×▢=教師力

 


という式が成り立つと思っています。

つまり▢の部分が0なら、意味がないですし、

▢の部分が10000なら、すごい力となるわけです。

 


この▢に入る部分が、何かは教えません。

 


現場に出て、自分なりの▢を掴んでみて下さい。

 


二週間という短い期間でしたが、「直接、技術を教えるのではなく、問いながらO先生の内側にあるものをごっそり引き出す」ということに挑戦できました。

 


一番学んだのは僕です。

 


O先生なら、いい先生になれると思いますよ。

応援しています。

 

 

教採、健闘を祈ります。

それではまた、いつか現場で会いましょう。

ふつうの先生は、すごい。

私は、教員資格認定試験と教員採用試験を同年にW受験して、現在教員として働いています。

教員資格認定試験はなかなか狭き門で、当時合格率は約7%と言われていました。

二次試験では、デッサンに、バスケのシュート練習、表現運動、マット運動に論文とマルチなことを要求されていたので大学三年の終わりから、四年の半ばまでは、寝る間も惜しんで勉強をしたのを今でも覚えています。特に論文は、体育の学習指導要領の変遷を記述するような問題が毎年出されていたので、指導要領解説は一冊丸暗記しました。

 

 

 

さて、難関を突破して教員の世界へ足を踏み入れる方へ、僕からエールを贈りたいと思います。

 

 

 

それは『暗い話題の多い教育界を変えるキーマンは、あなた達一人ひとりだということ』です。

 


決してカリスマ的な誰かや、

全国に名が知られている有名なあの先生が変えてくれるのを待つのではなく、

『あなた』自身にその可能性があるということ。

 


『あなた』が変われば、

少しずつ周りは自然と変わるということ。

 


『楽しい』にも、

『つまらない』にも、

『ブラック』にも、

『ホワイト』にも行くことができるハンドルは、

『だれか』ではなく、実は『あなた』が握っているということ。

 


現場は、しんどいことも多いでしょう。

大きな見えない『何か』に覆われているような感覚に陥ることもあるでしょう。

そんな時、あなたが一体どんなハンドルを切るのか。

 


僕は、全国にファンがいて、

皆が目指したいたいと躍起になる『有名なあの先生』が創る教室の物語なんかより、

全国にたくさんいる一生懸命なふつうの先生達が、

試行錯誤をしながら生み出した教室の物語に興味があります。

 


ふつうの先生方は、すごい。

 


目の前の子ども達と一緒に、

楽しい日も、しんどい日も、

真剣な日も、しょうもない日も

全部含めた日常を愛でられるような先生を待っています。

 


なんの変哲も無い、しょうもない日常こそ愛おしいものですよ。